勝海舟
2018年04月12日
勝海舟が語った太田道灌の江戸城
1: 名無しさん@おーぷん 2018/03/29(木)00:23:15 ID:t1v
勝海舟の談話
「江戸城が扇ヶ谷の執事太田道灌の居城にしては、
あまりに大き過ぎるという事だ。
何の記録を見ても江戸城の門は、三十六とあって、
全体の結構がなかなか大きそうだ。
そこでいろいろ考えていって、とうとうその訳がわかった。
当時扇ヶ谷は、関東の管領で、その居城は、今の川越であったが、
平生は鎌倉に住んでいて、川越へは一年に一、二度行くばかりであった。
それゆえに、万一、八州の野に不意の兵乱でもあると、
鎌倉と居城の連絡はたちまち断たれる心配がある。
そこで、これに対する予備として、八王子を始め、
その他諸処につなぎのとりでを置いたので、
江戸もまたその一つであるということがわかった。」
「江戸城が扇ヶ谷の執事太田道灌の居城にしては、
あまりに大き過ぎるという事だ。
何の記録を見ても江戸城の門は、三十六とあって、
全体の結構がなかなか大きそうだ。
そこでいろいろ考えていって、とうとうその訳がわかった。
当時扇ヶ谷は、関東の管領で、その居城は、今の川越であったが、
平生は鎌倉に住んでいて、川越へは一年に一、二度行くばかりであった。
それゆえに、万一、八州の野に不意の兵乱でもあると、
鎌倉と居城の連絡はたちまち断たれる心配がある。
そこで、これに対する予備として、八王子を始め、
その他諸処につなぎのとりでを置いたので、
江戸もまたその一つであるということがわかった。」
続きを読む
azsok at 00:00|Permalink│Comments(0)